【 ラブライブ!サンシャイン2期10話感想】3年生の進路、内浦からの卒業
【ネタバレを含みます】
ラブライブ!サンシャイン2期10話。
前半の萌えスポコン展開から一転、後半でまさかの3年生組の進路が明かされました。
小原はイタリアの大学。
黒澤は東京の大学。
松浦は海外でインストラクターの資格を(海外という適当な感じがいかにも松浦って感じですね)。
三人とも、内浦を離れる決意をしました。
1期の地元愛路線(2期は地元愛→愛校心へとシフトしましたが)を思い出すと、意外な展開のように思います。
そして何より、μ'sのときには徹底的に排除された「卒業後の進路」を明確に描写する展開自体が、何より衝撃です。
「ラブライブ!に優勝して浦の星女学院の名前を歴史に刻む」ことが目的である、という再定義がなされた今となっては、そのあとの話は、今回高海が言っていたとおり「考えちゃいけない」ことなんじゃないかとも思うほどです。
気になるけど。
描く意味がある
仮定の話になりますが、もし浦の星女学院が廃校になっていなかったら、または小原が併合先の理事に就任していたら、どうなっていたでしょうか?
小原は理事(長)職があるので内浦の地に残るでしょうし、黒澤・松浦も彼女一人を残して内浦を去るとは考えにくいので、彼女らもきっと残るでしょう。
黒澤はお稽古事の傍ら家の仕事を手伝い、松浦もダイビングショップを手伝うのでしょうか。
何にせよ生活空間も人間関係も変わらず、高校生活の延長のような時間が延々と続いていくことでしょう。
このような生活は、彼女たちにとって、言うまでもなく幸せです。
しかし、これは「輝いている」のでしょうか?
僕の答えはYesです。
大好きな土地で最高の仲間に囲まれて暮らす。各自が各自の役割、やりがいのある役割を全うする。
輝いています。
ただ、これは受け身で閉鎖的な輝き方です。
高海が探し求めている輝き方ではなく、高海含め皆が既に知っている輝き方です。
こうした輝き方を是とする人も多々いるでしょうし、作品レベルであっても存在するでしょう。
最近のアニメだと、「サクラクエスト」の四ノ宮しおりさんがまさにそうでしょう。
ラブライブ!という作品、そして小原、黒澤、松浦の三人は、ここで否と宣言しました。
内浦を離れ、新たな人間関係に飛び込むこと。
見知った幸せにとどまるのではなく、これを放棄して、新たな一歩を踏み出すこと。
彼女らは高海を見て……いや、1年生当時にスクールアイドルを始めたときから、オープンエンドの可能性を追求することを「輝き」と感じていたのかもしれません。
いやいや、Bパートの小原のモノローグにもありましたが、3人が出会った小学生の頃から、こちら側のメンタリズムが萌していたのかも。
どちらの選択も間違いではありません。好みの問題です。
10話はストーリー展開上の重要な節目であるだけでなく、3人のキャラクター描写上も欠かせない話となりました。
グローバルな生い立ちの小原が実は性根は元々閉鎖的だったり、家柄的に保守的田舎の代名詞でありそうな黒澤があっさり外に出ることを決断したり、松浦は…具体的な地名が出てこないあたり松浦~って感じだったり。
卒業というテーマ
思えばμ'sのときは、3年生の卒業自体にはあえて重きを置かずに、μ'sの解散をメインテーマとして扱いました。
卒業というイニシエーションを描いていないのです。
卒業とは何かと言われると……何なんでしょうね?
「浦の星女学院を卒業するとともに、内浦という土地からも卒業するのです。」という締めを思いつき、そこに至るまでの過程を書こうと思い1章設けましたが、詰まりました。
今後の描写を待ちましょう。
アニメ作品として
アニメと現実を混同するなと怒られそうですが、俗にいう田舎の社会は、前者の輝き方を強く推奨します。
少し前に流行った「マイルドヤンキー」という術語がまさにこれです。
重ねてになりますが、前者のほうがローコスト・ローリスクです。新たなチャレンジなんてできない環境下にいる田舎の高校生も、たくさんいます。
そもそも自分が外に出て新たな生き方を探すなんて、思いもしない高校生がどれくらいいることか。
フィクションは現実と異なるものを見せてこそフィクションだと思います。この意味で彼女らが内浦を離れる決意をしたことが、とても嬉しいです。
残り3話、津島ダイエット回をはじめいろいろなクソ回をやらないといけないミッションもありますが、どういうふうにまとめるのかも非常に気になります。
※勢いで書いたので言葉の定義があいまいですが、輝き=自己実現、くらいの意味でとらえています。